片山真理さんのハイヒールプロジェクトのツイートみてて
ホントそう思った。
なんでも「出来ないこと」と解釈してるだけだったなと
今、走れるようになって思う。
ハイヒールプロジェクトについて①『出来ない事はやらなくていい。出来る事をやりなさい』という母の教えの元、すくすく育った私ですがハイヒールに関しては、"出来ない事"と解釈して諦めていました。(写真:まだ可愛かった子供の頃のわたし) pic.twitter.com/IVRHobxKog
— 片山真理 / Mari Katayama (@katayamari) February 13, 2016
解釈はいつか変わる。走れる。踊れる。もっと上に。
もしも中学生のときにその解釈が外れていたらまた違ったかもしれないな
②強くて美人な母は私にとって憧れの女性でして、そんな母が履いていたハイヒールは、私が理想とする女性になるための必要不可欠なものとして心の中に強く残っていました。(写真:ハイヒールを履くけど立てない『white legs』という作品) pic.twitter.com/xEMTcvsxKX
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③学生の頃私はジャズバーで歌をうたっていました。ある日酔っぱらいが「ヒールを履いてない女なんて女じゃない」とヤジをとばしてきたのです。悔しくて「ハイヒール用の部品で、1番ヒールの高い靴が履けるやつを!」と義肢製作所へ駆け込みました。 pic.twitter.com/dbz1X6XtAy
— 片山真理 / Mari Katayama (@katayamari) February 13, 2016
ビジュアル系全盛期の高校・大学時代はかかとを最大限まであげてブーツはいてたなぁw
ジャックパーセルとか履くときだけ自分で調整して踵を下げてたw
④他の義足の人がハイヒールを履いている事は知っていたし、本当に出来ないのではなく自分が勝手に諦めていた事を指摘されたようで悔しかったのだと思います。そしてハイヒールを履いたステージを目標にハイヒールプロジェクトがスタートしました。 pic.twitter.com/AUs4h4xvzT
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⑤その活動が進むうちに、見えてきたのは日本の福祉の現状でした。福祉の分野で「装い」の重要性は今でも十分に認知されていません。それはハイヒールのような極端な「ファッション」の話ではありません。(写真:2005年から現在までの義足) pic.twitter.com/k0FCWKVUWO
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⑥例えば1人で脱ぎ着できる洋服があればこれまで人の助けを必要としていたトイレや着替えが"もう少し自分で"出来るかもしれません。また着たい服を着て外へ出る事は社会復帰、自立への大きな一歩に繋がります。(写真:母お手製の紐パンはいてた) pic.twitter.com/HvjF4M9w6P
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一人でなんでも出来るようになると、何かが変わった気がしてくる。
⑦それら全て装いの分野です。でも装いは治療に入りません。その上、良いなと思ってもいい/思わなくてもいいという選択肢すらありません。憧れくらいは持ったって良いじゃないですか。私はこの大問題を知らんぷりする事が出来ませんでした。 pic.twitter.com/zlcQ9mAbQp
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⑧この現状に一石を投じる事ができたらと、当初の目標達成後もハイヒールプロジェクトを続けていこうと決心しました。現在この活動には何の垣根もありません。ハイヒールを履いて2mになる私の活動全てがハイヒールプロジェクトなのです。 pic.twitter.com/Xx61xI8egT
— 片山真理 / Mari Katayama (@katayamari) February 13, 2016
⑨以上、ハイヒールプロジェクトについての連投失礼しました。これからもハイヒールプロジェクト含め作品も片山真理もよろしくお願い致します(⌒▽⌒) 今年は展覧会もライブもたくさんあります! pic.twitter.com/LL8avASwZk
— 片山真理 / Mari Katayama (@katayamari) February 13, 2016