日々のアイデアとか妄想置き場

「夢」「どうせ無理」

夢ってのは時間で大きくもなるし小さくもなる。

僕は事故で足をなくした。
脚がなくなったときに「もう走らなくていいや」と万年ビリの子供のころの自分は考えたりもしてた。
僕は挫折が目指すよりも先にやってきたからダメージが少なかったのかも。
これが大きな夢をいだきすぎて大人になって挫折したらしんどいだろうな。

小学1〜2年のころはいくら走っても追いつけないし、達成感もなく運動会がいやでたまらなかった。随分時間をながく感じた。
走り切ったところで達成感もなにもなかった。
どうせビリだったし。
足がなくなったときのショックより、
いつもの達成できなかったときのショックのほうがでかかった。
その後は楽だったんですよ。
どうせ無理というより完全に無理という返しができたので

ただ、これは一人の時なんですよね。
大人になって(子どもじみたことをずっとやってますが(笑))
人脈ができて、声をかけてくれる人ができて、それを一つ一つできる範囲で答えて
達成していく。友達も僕ができない範囲は手伝ってくれる。逆に僕ができることはやってあげる。そうするとだんだんできる範囲がひろがっていく。
他人の夢にのっかったり、自分の小さな夢にのっかってもらってる
それなのに一人では何もできないのに達成感だけは半端ない。
いづろベースやTEDx。ほかにも薬剤師のコミュニティもいろいろ。

子供もそう。
僕の子たちは僕の可能性を広げてくれた。
一番とかそういうのではなく並走。
走るってことができるようになった。

植松努さんのTEDx動画を思い出した。

どうせ無理。これに抗った生き方。
どうせ無理。だったらこうしたら?

TEDxを鹿児島にもってくるのなんて、英語できないしどうせ無理。
だったけどAlexや他のオーガナイザーに助けられて開催できている

在宅訪問業務を一人薬剤師がやるなんて無理。
だったけど、やっている人に聞いたらできるようになる。

こんな細かい腎機能の計算とか無理。
だったらパソコンにやらせればいいじゃない。

こんなふうにいろんな問題を解決してきたんだなと植松さんのTEDxを思い出しながらみてみた。

義足で走るのも「走るのは無理。だったら跳んだら?」ってのが僕のなかの小さな答え。
小さい棒高跳びを連続してリズムよく前にでる。
そう。僕は走ってるのではなくて、跳んでるんです。
見た感じは走っているのですが、じゃないんですよね。

そしたら運動会で子供とはしるという夢も、先日ちょっと達成した。
幼稚園のグラウンドを半周くらい一緒に並走するだけの中途半端なことだけど
(しかも他の親御さんたちは義足ということにすら気づいてない(笑))

さて植松さんの本が届いた。
いまから読んでみようと思う。

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